スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 スポンサー広告

トルコ共和国/アジアの西の最果ての、月と星の国


あ1


トルコ共和国は、日本では中東に位置すると理解されていますが、一応西アジアなんですよね。中東と言えば最近じゃシリア情勢なんかが悪化していたり、イランが無茶やったり、イラクが制裁くらったりと、西側諸国から見れば世界の問題児集団的な印象があるのは否めません。それら「困ったイスラムの国々」に隣接し、加えて経済危機で国家財政が飛んじゃったギリシャにも隣接しているのがトルコ共和国(以降トルコと表記)です。

でもトルコはそんな位置にありながら、EU加盟を目指す「西側の一員」でもある。
この辺りが、困った特亜に隣接しながらも、アメリカラインで「西側の一員」である日本とちょっと似てます。

トルコが親日国家であるという話から、この国に興味を持ったのですが、いささか、この「親日国家」という表現には抵抗があるものの(身近に親日的トルコ人がいないっていうのがその抵抗感の根拠)、常々反日国の話ばかり聞く私としては、ありがたいことだと思っています。てか、その親日の発端が、エルトゥールル号遭難事件だったわけですが、そんなことで親日になってくれるなんてトルコ人って義理堅いんだなあという感想を持ちました。

エルトゥールル号遭難事件

(和歌山県串本町)1887年、小松宮彰仁親王がヨーロッパ訪問の途中でイスタンブルに立ち寄った。それに応える形で1890年、オスマン帝国スルタンであったアブデュル・ハミト2世の使節としてフリゲート艦「エルトゥールル号」が日本へ派遣された。使節は明治天皇へ親書などを手渡し帰国の途についたが、和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁沈没、特使オスマン・パシャを含め500名以上の乗組員が死亡した。

しかし紀伊大島の住民が救援に駆けつけ69名が救出、報せを聞いた明治天皇は直ちに医者と看護婦を派遣、救援に全力をあげた。さらに生存者には日本全国から多くの義捐金・弔慰金が寄せられ、1891年、生存者は日本海軍の装甲コルベット「金剛」、「比叡」の2艦によりオスマン帝国に丁重に送還された。

1892年には日本各地で講演を行い義捐金を集めた山田宗有がトルコに渡り、アブデュル・ハミト2世に謁見している。この事件はトルコ国内で大きく報道され、日本人に対する友好的感情もこの時より醸成された。



で、この恩返しというわけでは無いでしょうけど、1985年のイラン・イラク戦争の時に、テヘラン空港で邦人約200名が取り残されそうになる危機を、トルコの計らいで回避することができた、ということがあったそうです。

なんかね、自国民を紛争地域から安全に脱出すらさせることができない今の日本ってやっぱり駄目ですよ。日本とトルコの、上のような関係ってとても理想的で善いものだと思うのですが、助けてもらった理由のひとつが、日本側の不甲斐なさに起因しているとなると、とても残念だと思っちゃいます。

日本は太陽を抽象化した、白地に赤の日の丸を国旗としていますが、トルコの国旗は赤地に白の月と星が描かれています。日の丸を美しいと思うのと同様に、私はトルコの国旗も美しいと思います。アジアの東の最果ての国日本が太陽を掲げ、西の最果ての国トルコが月と星を掲げるって、なんだかロマンティックなお話じゃないですか。

トルコでは「アジアの真ん中にいた民が東に進んで日本人になり、西に進んでトルコ人になった」という日土同根話があるそうです。民族的な特徴や言語的な性質から言って、「科学的な信憑性」には乏しいものの、その精神性なんかは確かに似ているんじゃないかなと考えています。

ちっとよろしくお願い致しますm(_ _m)
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
関連記事
スポンサーサイト

 *こはろエッセンス*

 トルコ イスラム圏 中東 西アジア 日本 オスマン帝国

- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。