ホラー映画にエロはつきもの

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特に必要ありません。関係ありません。

と、一気に否定してしまえるのであるなら、エントリーとして成立さえしませんし、最初から面白くもない切り口になると思います。だいたいそんな結論になるテーマを選択するわけもないですし(苦笑)

ブロ友さんとホラー映画の話をしていて、そういえばホラー映画って(特にB級)やたらエロシーンが多いなぁと思ったのが、このエントリーのきっかけ。ということは「ホラー」(恐怖を与える意図で作られたモノ、あるいは観客サイドで恐怖を認められるモノ)と「エロ」の間には何らかの相関関係が存在すると予想できるんです(゚д゚)

本題に入る前に「エロ」の説明が必要ですねw
そもそも「エロ」とは何か。「エロ」とは「エロ」であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

しかし出発点は「エロティシズム」にあります。「エロティシズム」とは、人間の性衝動(=リビドー)そのもの、あるいはリビドーの美的次元に焦点を当て、これへの関心が欲望主体自身を個体化させる一方、究極的には脱個体化させる概念であると言えます。

簡単に言うなら、リビドーとは本質的に、自己中心的な欲望に基づく愛情であり、その意味で、人を個体化させます。しかし、この自己中心的な欲望は必ず「相手」を求め、肉体を通した精神的な共同性を求めていることにもなるから、脱個体化するということですね。

また、上記性的活動への期待や喚起を「表現」を用いてかきたてようとする試みについても用いられます。
しかし「エロティシズム」も、普遍的なものでは決してなく、時代や地域によって官能美を喚起する要素は異なります。(時代によって「美人」の要素が変化することと似ています)

一言で言うなら、「エロティシズム」というのは「性」を通した「生」の動的且つ美的な主体行動として「昇華」できるものだとも言えるでしょうね。(そこに帰属する背徳感なども、結果的にリビトーの助長をもたらしますし、また客観的には、そこに美を感じたりもします)

一方「エロ」とは、上記エロティシズムの一部に過ぎない概念であり、単なる性的衝動、あるいはそれに対する期待と喚起に過ぎず、期待の達成による「昇天」はあるかも知れませんが、概念として「昇華」されることはありません。
というより、そもそも「エロティシズム」を土台とした略語であり、世俗的な愛欲そのものを「エロ」という俗語に封じた感じで使用されていますね。またその使用頻度も汎用も広く、逆に基になる「エロティシズム」すら阻害された言語でもあります。

こちらも一言でいうなら「安易な性欲処理への期待」と、それをもたらすモノと言えます。

しかし、「エロティシズム」もそうですが、「エロ」の需要は高く、世俗的故にネタとしては「人類共通」であり、コミュニケーションの一助として利用できることは否めません。それ故、「エロ」がどんなに自己チュー且つそれを満たすためであれ、「全然ダメ」と批判する根拠はないでしょうね。

そんな「エロ」ですが、ホラー映画においては、かなり作品の中に登場します。

映画ファンにとっては、「エロとホラーは表裏一体」と言われるほどその関係は自明であり、「ワンセット」として見なすことも可能なくらいです。中には(殆どB級ですが)ストーリー上の脈絡など一切なく、「着替え」とか「ヌード」とか、「何かヤッてる」シーンを入れるものさえあります。

今では「エロホラー(エロティックホラー)」なるカテゴリーも作られるくらいですから、その相性の良さはもはや否めません。

それでも「相性がいい」「表裏一体だ」ということを感じることは出来ても、それが何故か、ということになると、なかなか言及したものがないんですよね。

ホラー映画とは本来、「恐怖を与える目的で作られた映画」あるいは「観客が恐怖を感じる映画」です。(これは教えてもらった)
しかし、何故これが商品として成立するのかといえば、そのようなホラー映画を「観たい観客」という需要があるからなのですね。もちろん私もその需要を支える一人です。つまり、観客としては恐怖を感じるとわかっている映画を「選択」することになります。

「怖いなら観なきゃいい」のですが、それでも「観たい」つまり、「怖がりたい」という願望がそこに存在します。

本来「恐怖」とは、「死の予想に基づく本能的感情」であり、故に危機回避のための身体的反応をもたらします。「動悸が速くなる」「呼吸が速く浅くなる」「瞳孔がひらく」「発汗する」等、即効的な興奮状態になるのですね。従って、一時的な身体能力の上昇(人間の潜在的身体能力のリミッターを外す)をもたらし、「火事場の馬鹿力」の原因ともなるのです。

しかし、科学技術の進歩がもたらした現代社会において、人は上記恐怖(=生命の危機)を感じる機会が少なくなりました。所謂「平和」で「安定」した、自然の驚異のない生活社会を営めるようになったことで、恐怖を感じる必要性がなくなったのですね。従って、「恐怖」を擬似体験(感情的同化)できる創作物の需要が(映画だけではなく)出来たのです。

先述した、恐怖による身体反応をもたらす興奮状態とは、「快感」の身体メカニズムと同じです。それは脳内物質(ドーパミンに代表される興奮を促す物質)が、「恐怖」時も快感時も出ることから証明されています。

つまり、「恐怖の擬似体験」という、死の危険の伴わない状況は、危機回避の行動の必要性がないため、身体メカニズム上は「快感」に等しいのですね。
ホラー映画を私達が何故観るのかというと、「快感」を得るためだと言えます。この場合「怖がりたい」と「気持ちよくなりたい」「ストレス発散したい」は同義となるのですね。

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「エロ」はもう説明の必要もないでしょうw

「安易な性欲処理への期待」に基づく興奮状態は、そのまま「快感」に直結するわけです。従って「エロとホラーは表裏一体」というのは、メタファーとしては実は誤りなんですね。「エロとホラー」はどちらも「快感」による「興奮状態」をもたらします。つまり、エロとホラーは、(表裏一体ではなく)そもそも一体なんですよ。

制作サイドで見るならば、エロティシズムを伴わないエロシーンをホラー映画に取り入れることは(伴ってもよいですが技術は高い)、「スリル」や「サスペンス」的な事件を盛り込むことと同じ働きを観客にもたらすことを、初めから期待出来るのです。

つまり、「恐怖」の維持や継続を「エロ」シーンは全く阻害することなく興奮状態を保てるメリットがあるんですよね。(まぁ個人差はあると思うけど)

そういうわけで、ホラーにエロはつきものです。
しかし、ホラーに「絶対」エロが必要でないことも同時に言えますね。そこは制作サイドの力量や好みの問題でしょうけどヽ(´∀`)ノ


ぽちっと☆(´∀`σ)σ
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